新竹駅が開業したのは1893年10月30日。清国統治時代にさかのぼります。基隆を起点に敷設された鉄道は、まず台北までの区間が開通し、その後、新竹まで延伸開業した。日本統治時代に入った時点では新竹が終着駅だった。
この頃の新竹駅は日干しれんがを用いて造られた建物だったという。14坪という小ささで、駅というよりは「乗り場」という雰囲気だった。しかし、台湾が日本の統治下に入ると、台湾総督府は大規模輸送機関として鉄道を重視し、島の南北を結ぶ縦貫鉄道の敷設を急ぎました。
駅舎の設計を担当したのは松ヶ崎萬長(まつがさき・つむなが)という人物である。松ヶ崎は明治期にドイツ建築を日本に紹介したことで知られ、台湾総督府鉄道部の嘱託技師として、台湾にやって来た。
新竹の駅舎は直線を多用したドイツ風バロックと呼ばれるスタイルを踏襲し、質実剛健な雰囲気を醸し出している。特に直線で構成された屋根のラインが特色で、気品を漂わせながらも、毅然とした表情を持ち合わせたような印象です。
松ヶ崎が手掛けた物件の多くは現存しないが、新竹駅は栃木県にある元外務大臣・青木周蔵の那須別邸と並んで、往時の姿を保っている。そして、台湾においては現存する最古のターミナル建築となっている。新竹駅のように、完工時の姿を保つ駅舎は少なく、その歴史的な価値が考慮され、1998年6月23日に文化財として保存されることとなりました。
同時に、日本国内においても、大正期のターミナル建築が現役であることは極めて珍しい。そういった意味合いもあり、2015年には東京駅(JR 東日本)と新竹駅(台湾鉄路管理局)との間で、姉妹駅関係が締結されました。
東京駅と新竹駅の両駅舎は、それぞれ当時の日本の建築界を代表する日本人建築家により設計されました。
台湾・新竹市にある新竹駅は2013年、東京駅は2014年に、それぞれ現駅舎完成 100 周年を迎えた、それぞれの地の鉄道を代表する歴史的建造物です。